言葉のかけら(知識よりも語りぶり)
人の理解はそれをどのように語れるか(語りぶり)に出る。
元々知っていたものが経験を通じて理解できるようになったのも、知らずに自分の経験のみから編み出すのも、理解という意味では価値は同じ。
そういう意味で「それを以前から知っていたか」(または、知っていたが忘れたか)には実はあまり意味はない。
ある程度経験があれば、「一度どこかで学んだことがある(が、理解はしきれなかった)」ことはかなり多くなる。時に学んだ事実自体を忘れることもあり、「それは別の人が言っていた(または何かに書いてあった)」と言われたら、その人の理解に追い付いたとむしろ喜ぼう。
知識は経験を通じた理解をしてこそ本当の意味で輝くし、それでこそ本当の意味で「語れる」というもの。知識よりも語りぶりで勝負できるかっこいい大人を目指そう(^^)/