【本の紹介】新訳 老子 ~”真面目”に生きることにふと疲れた時に読みたい本~
こんばんは、山田太郎(仮名)です。
今回は本の紹介です。
の本ですね。
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【新訳 老子】~真面目に生きることにふと疲れた時に読みたい本~
おすすめ度:★★★★★(5/5。おすすめ!)
水のような生き方を学ぶため購入
この本は、一言で言えば「真面目に生きることに
ふと疲れた時に読みたい本」本、という感じ。
老荘思想は序文に「儒教が働く気持ちなら、道教は遊ぶ気持ちである」
と書いてあるように、儒教と対になる思想です。
否定しありのままに生きる、ということが非常に大きな軸になっています。
読後の感想としては、確かに儒教と道教、両方読むことで
より人としてのバランスがとりやすく、生きやすくなると感じました。
特に印象に残った部分として(一部意訳あり)
「ツバメのような小さな鳥は大きな鳥にはなれないが、逆に大きな鳥は小さな鳥にはなれない。それぞれの世界があり、どちらも正しい。分相応の生き方が大事(燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや)」
「弱くて柔らかいものは強くて硬いものより本当は壊れない」
「器は中が空いているから使えるように、本当に大事なものは“無”が支えている(無用の用)」
「聖人は物事を大事になる前にそっと片づけてしまうので、“何もしていない”ように見える」
「『道』をわきまえた人は、輝く才能を隠し世間の人々に混じりあって凡人として生きる」
「本当にわかっている人は、ぺらぺらしゃべらない」
「鍛えて鋭くなった刃物は、すぐ刃こぼれして長持ちしない」
「理想の指導者は言行一致して誠実な以外は表立ってはほとんど何もしないように見え、役目を終えると静かに去っていく。だからこそ、人々はその幸せな暮らしを自分たちで気づき上げたと思う。それこそが最高なのだ」
「“道”を心得た無為の聖人は、自分が清廉でも人にはそれを求めない。英知の光を照らしても、その輝きで相手をまぶしい思いなどさせない」
などが、大いに参考になった(あまりにも多いので、
書ききれなかったものは「追記」に)。
全体的に「無為」(作為的なことをしない)という一貫した
テーマがありますが、これを体現するのはある意味で
作為的に何かをなすことよりも難しいようにも感じました。
ただ、そこに厳しさを感じないのは、老子が結局は
人間自身を信じていたからなのでしょうか(人間を
信じているからこそ「ありのまま」で十分なのでしょう)。
最後に、訳も新訳シリーズの例に漏れず非常に読みやすく、
まず一番初めに読む老子として非常におすすめです
ビギナーズクラシックスを読みにくくて挫折しました汗)。
まあ、難しいことは抜きにして、仕事などでつい肩に力が
入り過ぎてしまった時、そして人生の節目節目で読み返したい
すばらしい本だと思います。
万人にぜひ勧めたい良書ですが、特に”真面目”過ぎる人(自覚は
ないが周りに言われる人含む)、または頭がよく切れる人や
一定以上の成功を収めてきた人が読めば、人としてのバランスが
さらに良くなり、より実りのある人生をもたらしてくれる本でしょう。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
新訳 老子、とてもおすすめなのでぜひ一度読んでみて下さいね\(^o^)/
●今日の一言
「水は折れない、砕けない。形は変わってもそこにあり、最後はまた水に戻る」
「良くマネジメントされた工場は、静かで“退屈”に見える」 (ドラッカー)
「脱力」(宮本武蔵)
●今回の本(おすすめ度:★★★★★(5/5。おすすめ!))
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●追記
「無為の人にとっては自分以外はみんな先生。世間ではなく自分の目を信じる」
「奥ゆかしく安らかにしていると思えば、いつの間にか動き出し蔭(かげ)で人の喜ぶことをやっている」
「賢者は大きな仕事をやり遂げたら、固執せずにさっさと後進に道を譲るもの」
「立派な指導者は大木の根のように重厚で沈着。土の上が騒がしくても、根(指導者)は静かである」
「不自然はどこかで行き詰る。これが自然の鉄則」
「本当に徳のある人は、自分の徳をわざわざ意識しない」